天狗の杜で ~雪虫のブログ

時空の裂け目を探して、東へ西へ。山の民俗をテーマにした山旅日記です。

戦乱と祈りの道、「足柄古道」を歩く(2)~足柄峠で歴史の厚みに圧倒される

富士山を背にして県道をてくてく歩き、足柄峠に到着しました。

足柄峠は標高759m。JR御殿場線足柄駅が標高330mですから、なんだかんだで標高差400m超を登った計算になります。

足柄峠駿河国相模国との国境に位置し、今は神奈川県と静岡県が境を接しています。古代の交通・軍事の要衝だけに、足柄峠には史跡が多く、平安時代(899年)に設置されたといわれる「古代の足柄の関」、築城年代不明の「足柄城址」、空海開創と伝わる「聖天堂」、新羅三郎義光八幡太郎義家の弟)が戦乱のさなか、師匠の跡継ぎに笙の奥義を伝授したといわれる「笛吹塚」など、さまざまな史跡がありました。

古代の足柄の関

足柄山聖天堂弘法大師が奉納したとされる大聖歓喜双身天を祀る

聖天堂の前にある金太郎像

八幡太郎義家の弟・新羅三郎義光ゆかりの笛吹塚

山の神の祠

なかでも目を引いたのが、「あづまはや 足柄峠」と書かれた標柱です。

あづまはや、といえば、ヤマトタケル伝説の中でも白眉といわれるシーンの1つ。

古事記によれば、ヤマトタケルは東征の途上、相模国三浦半島)から上総国へと向かう海路で嵐に見舞われます。この絶体絶命のピンチを救ったのが、后のオトタチバナヒメ弟橘媛)でした。彼女はわが身を犠牲にして荒海に身を投じ、海神の怒りを鎮めます。

后の自己犠牲によって嵐を乗り切り、東国を平定して帰途についたヤマトタケルは、足柄峠で「吾妻はや」(わが妻よ)と三たび嘆きました。それが、「あづま(吾妻)」という地名の起こりである、と古事記には記されています。

足柄峠の標柱

この標柱のそばに、足柄峠の歴史をまとめた年表がありました。

足柄峠に出没した強盗団を取り締まるため、足柄の関が設けられたのは昌泰2(899)年。

その後は、空海から平将門源頼光、「更級日記」の著者、源頼朝西行鴨長明日蓮足利尊氏太田道灌、秀吉、家康、芭蕉に至るまで、足柄峠に足跡を刻んだ武将や文人・高僧は枚挙にいとまがありません。

この峠からは、4000年前の縄文土器片が出土しているそうです。水に恵まれた足柄山は、縄文の昔から人々を潤し、人々の往来を支え続けてきたのです。

足柄城址

一の廓の奥にある雨乞い池

足柄峠の史跡を一巡し、足柄城址に「登城」。二の廓のベンチでランチをとることにしたのですが、ここからの絶景が圧巻でした。

手を伸ばせば届きそうなほど巨きな富士山が、目と鼻の先で裾野を引いているのです。その左手には愛鷹連峰。眼下に広がる町は、静岡県小山町御殿場市の辺りでしょうか。さらに左に目をやると、足柄山地の盟主・金時山がよく見えました。もし、富士山が雲を被っていなければ、気が遠くなるような絶景が広がっていたことでしょう。

ここに来ると、だれもが判で押したように「すごい…」と一言発し、しばらく無言になるのです。徒歩で旅をした昔の人は、足柄峠で霊峰富士を目の当たりにした瞬間、文字通り息を呑んだことでしょう。

二の廓からの富士山

二の廓から見る金時山

そういえば、足柄峠から静岡方面に少し下った県道沿いに、芭蕉の句碑がありました。

「目にかかる/時やことさら/五月不尽(ふじ)」

苦しい峠越えをした芭蕉の目には、五月富士がことさらに美しく見えたのでしょう。

ほぼ予習ゼロの状態で始めた、足柄古道ウォーク。驚きと発見の波状攻撃で、寄り道を繰り返すうち、午後を回ってしまいました。当初は矢倉岳でピークハントしてから下山する計画でしたが、歴史の厚みに圧倒されて、すっかり満腹、感無量。このまま地蔵峠に向かって下山することにします。

足柄峠から地蔵峠へ。石畳の道が続きます

地蔵峠への下りは、しばらく石畳の道が続きます。これぞ古道の醍醐味、と喜んだのも束の間、山道は数ヵ所で県道に分断され、落ち着いて古道歩きが楽しめる雰囲気ではありません。バイクの爆音にビクビクしながら県道を何度も横断し、地蔵峠に到着。

この日登る予定だった矢倉岳

この一帯は金太郎伝説の宝庫で、足柄山観光の一大拠点になっています。その核心部に位置するのが、「金太郎生誕の地」ともいわれる地蔵堂です。

伝説によれば、金太郎は足柄兵太夫、別名、四万長者の孫として生を受けました。当時、地蔵堂は広大な長者屋敷の一角にあり、金太郎はここで産声を上げたと伝えられています。

そこから車道を15分ほど登ると、左手に「金太郎遊び石」と呼ばれる巨岩、右手には「金太郎の生家跡」。その先に、「金太郎が産湯をつかった」という伝承がある「夕日の滝」がありました。

夕映えの美しさで知られる、夕日の滝

「頼光対面の滝」には霊妙優美な趣きがありますが、「夕日の滝」は雄渾壮大といった印象です。「夕日の滝」の飛沫を浴びて、しばし黙想。ふと周りを見回すと、10人ほどの人たちが、無言で滝を見つめていました。

それにしても、いずれ劣らぬ名瀑ぞろい。この山域が水に恵まれていることも、足柄古道が古代の官道として重用された理由の1つなのでしょう。そして、滝は行者や巡礼者にとっても、命の水を汲み、行をするために欠かせない場所であったはずです。

金太郎(坂田金時)が実在したかどうかはともかく、金太郎という異形の存在を生み出したことは、(当時の人々にとって)足柄山が尋常ならざる霊力を秘めていることの証しでもあったように思います。そして、自分も足柄山の霊力にあずかりたいと願った行者たちに、格好の行場を提供したのが、豊かな水量を誇る名瀑の数々だったのではないでしょうか。

足柄山の東にある大雄山最乗寺は、天狗伝説を今に伝える関東有数の修験霊山です。また、南には修験道の拠点となった箱根三所権現(今の箱根神社)があり、西の富士山麓では村山修験が一大拠点を構えていました。回国修行をする修験者たちにとって、道すがら行をしながら旅ができるというのは、足柄路の大きな魅力だったに相違ありません。

そう考えると、気になるのが、今回スルーした矢倉岳の北側にある「山伏平」という地名です。こうなったら行きがかり上、矢倉岳にも行ってみなくては。

ということで、足柄(古道)シリーズ、さらに続きます。